【キリスト教】ヨーロッパの教会墓地と芝生墓地の歴史【ローンセメタリー】

西洋文化に詳しい王女『ロゼリィ』が解説する『西洋史』

ウェールズの聖アサフ大聖堂や、バンボローの聖エイダン教会などを見ていると、墓地がすぐ横にありますが、フランスなど有名な大聖堂を見るとありません。何故でしょうか?


たしかに今まで学んできた大聖堂などは都会の中心で、墓地がなかったですね。


芝生の上に立つ墓地は魅力的に感じます。


芝生墓地(ローンセメタリー)ですね。それでは今回はお墓の歴史を踏まえて見ていきましょう。



ヨーロッパのキリスト教の墓の歴史

初期キリスト教時代(1〜4世紀)

地下墓地(カタコンベ)

ローマ帝国時代、初期キリスト教徒は迫害を受けることもあり、ローマ郊外の地下墓地(カタコンベ「Catacombs」)に埋葬されました。

カタコンベは、地下の通路に沿った墓穴で、聖人や殉教者の墓が重要視され、聖人の墓が巡礼地になりました。

キリスト教では、肉体の復活(復活信仰)を信じたため、火葬よりも身体を残す土葬が重視されました。

ローマ帝国公認後(4〜5世紀)

教会の近くへの埋葬

313年、コンスタンティヌス帝によってキリスト教が公認されると、教会建設が進みます。

特に重要だったのが、聖人の墓の近くに埋葬されたいという考えです。

その結果、教会や修道院の周囲に墓地が形成されるようになりました。

中世(5〜15世紀)

教会墓地

中世ヨーロッパでは、墓はほぼ完全に教会空間と結びつきました。

教会の周囲は、教区民の墓、聖職者の墓貴族の墓になりました。

大聖堂でも、司教、王侯貴族、聖職者が内部や周辺に埋葬されました。

ルネサンス〜17世紀

墓の個人化

中世では「共同体の墓」という性格が強かったですが、ルネサンス以降、個人の名誉や家系、権力を示す墓が増えました。

特にイタリアでは、
壁面墓、彫刻付き墓碑、礼拝堂付き墓などが発展しました。

18世紀の都市墓地問題

人口増加により、都市内墓地が限界になります。

  • 墓地の過密
  • 遺体の腐敗
  • 地下水汚染
  • 悪臭
特にパリでは深刻でした。

イギリスは、産業革命によって、
  • ロンドン
  • マンチェスター
  • バーミンガム
  • リヴァプール
などの都市人口が急増しましたが、墓地は中世以来の広さのままでした。

その結果、
  • 墓を掘ると以前の遺骨が出る
  • 墓地が過密になる
  • 地面が盛り上がる
  • 悪臭が問題になる
という状況になりました。

1840年代は、コレラやその他の疫病により、より多くの埋葬空間が必要になりました。

参考サイト様

19世紀:近代墓地の誕生

庭園墓地(ガーデンセメタリー)

産業革命後、都市外に大規模墓地が作られます。
広い敷地、樹木、道路、記念碑、家族墓など、墓地が単なる埋葬場所ではなく、公園+記念空間になります。

ということで、大きく分けると教会墓地と庭園墓地があるということです。


なるほど、歴史や経緯を見ると流れが理解できます。


ちなみに、教会墓地をチャーチヤード「Churchyard」、庭園墓地をガーデンセメタリー「Garden Cemetery」と言います。

その中でも、さらに国や地域によって墓地の管理方法や景観思想はかなり異なってきます。

各国の芝生墓地の特色



芝生墓地併設の教会

イギリス

イングランド

ウィットビーの聖メアリー教会

バンボローの聖エイダン教会

サウスポートのセント・カスバート教会

フォントメルマグナの英国国教会

スタルブリッジのセント・メアリーズ教会

カンブリアのセント・マイケル・アンド・オール・アングルス教会

ウェールズ

聖アサフ大聖堂



どうでしたかMoeちゃん?


芝生の上のお墓は良いですね。こんなお墓で永遠に眠りたいです。


生きてください。。



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