【ノルマン様式とは】イングランドのゴシック様式の歴史と流れ【イギリス大聖堂建築】

西洋文化に詳しい王女『ロゼリィ』が解説する『西洋史』

ゴシック大聖堂を語るに当たって避けて通れないイングランドのゴシック教会。

今回は、その流れを踏むノルマン様式とイングランドゴシック様式についてです。

ノルマン様式、ですか。


そもそも大きな西洋建築史の流れとしては、ゴシック様式の前は、ロマネスク様式でしたね。


その間が、そのノルマン様式ですか?


では、詳しく見ていきましょう。


ノルマン様式の背景と歴史

ノルマンディー公国の成立(911年)

ノルマンディー公国とノルマン様式

ノルマン様式とは、フランスのノルマンディー地方の建築様式です。

ノルマンディーは、現在のフランスでもイギリスに近い位置にあり、ノルマン人の地、という意味から、当時はノルマンディー公国(名目上はフランス王国配下)が存在していました。

ノルマンディー公国は現在のフランスのノルマンディー地域圏とほぼ同じ


サン=クレール=シュール=エプト条約

ノルマンディー公国が出来たのは、フランス王国がまだ西フランク王国だったときでした。

当時侵攻してきたヴァイキングは、ルーアンを超えて来ましたが、シャルトルの戦いで西フランク王国がなんとか防ぎ、首領ロロと911年のサン=クレール=シュール=エプト条約にて成立した国家でした。

それには、名目上はフランス王国(当時の西フランク王国)に王への忠誠を保証するなどの内容でした。

ノルマンコンクエスト(1066年)

ウィリアム1世のイングランド征服

しかしノルマンディー公国は、当時フランス王国の力も強くなかったため、独立性はわりと強い状態にありました。

そして1066年〜1071年のノルマンディー公国のウィリアム1世によるイングランド征服によってノルマン朝イングランド王国が誕生しました。

これをノルマンコンクエスト(ノルマン人の征服)と言います。

イングランド王国とノルマン様式

そこでノルマンディー公国で広まったロマネスク様式が、イングランドへ伝わり、そのノルマンディーのロマネスク様式をノルマン様式と呼ばれ、イングランド王国で多くの大聖堂や修道院が発展していったのです。

ノルマン様式は、ロマネスク様式に含まれますが、ゴシック様式への橋渡し的存在です。


ウィリアム1世は、フランス王国配下の公なのにイングランド王として統治したのですか?それならイングランド王国もフランス王国に入る…?


そこですが、イングランド王国は完全に独立した国です。


フランス王国配下のノルマンディー公国を持ちながら、独自に国も作って良かったのですか?


そこがややこしいところなのですが、後に百年戦争と言われる、イングランド王とフランス王が、フランスの王位と領土をめぐっての争いが始まるわけです。


イングランド王国の拡大と影響

イギリス方面への展開とノルマン様式の発展

イングランド王国は、その後、現在のウェールズ地方やアイルランド方面に展開していきました。

まずはイングランド王国周辺の拡大地域の重要なノルマン建築を見ていきましょう。


はい。


イングランド全面支配(1092年)
カーライル大聖堂
イングランド王国は、比較的早い時期から現在のイングランドとほぼ重なる地域を支配していました。

その中で、北西部のカーライル周辺は最後まで残った地域の一つでしたが、1092年のウィリアム2世によるカーライル獲得により、現在のイングランドとほぼ同じ領域となりました。


獲得後すぐにスコットランド王国に対するために建設されたイングランド王国のカーライル城も、ノルマン様式で建てられています。

そして、カーライル大聖堂などもノルマン様式で建築されることに繋がっていきました。

カーライル大聖堂


ウェールズ全面支配(1284年)
12世紀頃のウェールズには主に次の有力な王国がありました。
  • グウィネズ王国(北ウェールズ)
  • ポーイス王国(中部)
  • デヒューバース王国(南西部)

1181年には、デヒューバース王国に聖デイヴィッド大聖堂の火災による再建の着工がされるなどしましたが、この頃からイングランド王国のノルマン文化の影響もあり、ノルマン様式を取り入れたりされました。

1282~1283年に、エドワード1世がグウィネズ王国の征服によりウェールズ最後の独立王国が滅亡し、1284年にはイングランド王国がウェールズ全体を統治するようになりました。

聖デイヴィッド大聖堂

聖デイヴィッド大聖堂


アイルランド侵攻(1315年最大)
アイルランドは、1171年よりイングランド王ヘンリー2世が自ら渡り、ダブリンを中心に部分的に支配しました。

一時期1300年〜1315年ごろは、アイルランドの8割りほどに勢力を伸ばしていましたが、そこからスコットランド王国のエドワード・ブルースによるアイルランド侵攻をきっかけに衰退し、結局ダブリン周辺地域まで押し戻されました。

それがきっかけでノルマン様式が広まり、クライストチャーチ大聖堂を代表する建築などがノルマン様式に改築されたりしました。

クライストチャーチ大聖堂

クライストチャーチ大聖堂


スコットランド侵攻失敗
一方、スコットランド方面への侵攻は、スコットランド王国の征服は一時的にしたものの、スコットランド王国とフランス王国との「古い同盟(Vieille Alliance)」などもあり、イングランド王国に支配されることはありませんでした。

フランス王国側からすると、分け与えたはずのノルマンディー公国がイングランド王国を築き、さらに領土を広げられるのを止めたかったのですね。


フランス方面への展開

アンジュー帝国
さらにイングランド王国は、フランス王国内での婚姻などで、実質的な帝国ともいえる広大な領域を形成していきました。

それをアンジュー帝国(名目上はフランス王国内)と言います。

なので、ノルマンディー公国から始まるイングランド王国は当時どんな勢力だったのか参考程度に見ていきましょう。


ヴァイキングやノルマンディー公国は強かったのですね。


こちらはイングランド王国のノルマン様式はあまり根付かず、独自の様式を築きつつ、後にアンジュー様式(プランタジネット様式)としてゴシック様式の一つとして広まっていきます。

百年戦争(1339年)
それに憤慨したフランス王国は、軍事行動を開始し、1204年にルーアンを占領し、ノルマンディー公国は再度フランス王の直轄領となりました。

それによって、イングランド王とフランス王の対立は深まり、さらにはフランス王位継承問題もあり、百年戦争(1339~1453年)に繋がっていきます。

百年戦争は、あのジャンヌダルクの活躍によりフランス王国が勝利しますが、アンジュー帝国や百年戦争は、ノルマン様式とは直接的にはあまり関係がないため、これくらいで割愛します。


とりあえずノルマン様式のルーツであるノルマンディー公国がどのような国だったか理解出来ました。


ノルマン様式の特徴

インデンテッド


インデンテッド(Indented)模様は、鋸歯状(ノコギリの歯)のような三角形の切り込みが連続する模様です。

例:ウォリックシャー州、ストーンリー

ジグザグ


ジグザグ(Zig-zag)模様は、ノルマン建築で最も頻繁に使われる、V字型が連続する代表的な模様。

例:オックスフォードシャー州、イフリー

セント・マイケルズ・アンド・オールエンジェルス教会の扉


オルタネート・ビレット


オルタネート・ビレット(Alternate Billet)は、小さな円柱や四角いブロック(ビレット)を互い違いに配置した模様です。

例:ウォリックシャー州、ストーンリー

ダブル・コーン


ダブル・コーン(Double Cone )は、2つの円錐(コーン)の底面を合わせたような立体が連なる模様です。

参考サイト様
例:ウォリックシャー州、ストーンリー

ペレット


ペレット(Pellet / 球状・丸薬状装飾)は、小さな丸い球体が等間隔に並んだシンプルな装飾です。

例:ウォリックシャー州、ストーンリー

ロゼンジ


ロゼンジ(Lozenge)は、平らな面に菱形(ダイヤ型)が連続して並ぶ幾何学模様です。

例:ラトランド、エセンディン

ケーブル


ケーブル(Cable)は、縄状(太いロープや縄をねじったような)の、螺旋状の彫刻。

例:オックスフォードシャー州、フリットウェル

スター


スター(Star)は、ピラミッド状の4つの面を組み合わせて星のように見せる立体的な模様です。

例:ノーフォーク州、ストリンガム

メダリオン


メダリオン(Medallion)は、円や楕円の枠(メダル)の中に、動物、人物、神話の生き物などを彫り込んだ円形浮き彫りの豪華な装飾です。

例:オックスフォードシャー州、イフリー

ビークヘッド


ビークヘッド(Beak-Head)は、鳥の嘴状・怪獣の頭部のことで、鳥のくちばし(ビーク)や、怪獣・人間の頭部がモールディングを噛みついているような不気味で特徴的なデザインです。

参考サイト様
例:ダービーシャー州、ステートリー

ネイルヘッド


ネイルヘッド(Nail-Head)は、四角錐(ピラミッド型)の突起が並ぶ、釘の頭(ネイルヘッド)に似た模様です。

参考サイト様
例:ノリッジ、聖エセルドレダ教会

エンバトルド


エンバトルド(Embattled)は、お城の城壁の凹凸(銃眼)のような形をした、角ばった鍵型の連続模様です。

例:リンカーン大聖堂

ノルマン様式の成り立ち

歴史的な背景は分かったと思いますので、実際に建造物を見ていきましょう。


ノルマンディー公国での誕生

ジュミエージュ修道院


ノルマン様式のルーツは、ジュミエージュ修道院の建築から始まったとされています。

現在は遺跡になっていますが、「フランスでもっとも美しい廃墟」と言われる、ノルマン修道院の中で最大かつ最も古いものです。



サン=テティエンヌ修道院(男子修道院)


サン=テティエンヌ修道院は、イングランドを征服したウィリアム1世によって創建されました

ラ・トリニテ修道院(女子修道院)

Author:Tango7174 CC BY-SA 4.0


ラ・トリニテ修道院は、イングランドを征服したウィリアム1世の王妃マティルダによって創建されました

イングランド王国でのノルマン様式

ダラム大聖堂


1093年に着工したダラム大聖堂は、イングランド・ノルマン様式を代表する傑作です。

最初期の大規模な交差リブ・ヴォールトを採用して後のゴシック建築の発展に大きな影響を与えましたが、ヴォールトや円柱などにノルマン様式が残ります。



カンタベリー大聖堂


1070年以降、ノルマン・コンクエスト後にランフランク大司教によって再建されたイングランド教会の中心的大聖堂です。

ノルマン様式による壮大な教会として建設されましたが、後にゴシック様式へ大規模に改築され、現在も地下聖堂(クリプト)などにノルマン様式の姿を残しています。

Author:Dr Bob Hall CC BY-SA 2.0


ウィンチェスター大聖堂


1079年に着工したウィンチェスター大聖堂は、当時ヨーロッパ最大級の規模を誇るノルマン様式の大聖堂です。

重厚な身廊や巨大な柱にその特徴が見られますが、14~15世紀に身廊が垂直様式(Perpendicular Gothic)へ改築されたため、現在はノルマン様式と後期ゴシック様式が融合した姿となっています。

イーリー大聖堂


1083年にベネディクト会修道院の教会として建設が始まった大聖堂です。

長大な身廊や厚い壁などノルマン様式の特徴をよく残しており、その後に建設された八角形のランタン塔はイングランド・ゴシック建築の代表的な構造として知られています。

ノーリッジ大聖堂


1096年に着工したノーリッジ大聖堂は、イングランドで最も保存状態の良いノルマン様式の大聖堂の一つです。

長い身廊や半円アーチ、規則的な柱列など、ノルマン様式本来の構成を現在まで良好に伝えています。

ロチェスター大聖堂

Wikipedia CC BY 2.5


1079年に再建が始まったロチェスター大聖堂は、ノルマン様式の西正面や身廊が良好に残る大聖堂です。

重厚な壁体と半円アーチを特徴とし、イングランド初期のノルマン建築を知る上で重要な建築物となっています。

ピーターバラ大聖堂


1118年に着工したピーターバラ大聖堂は、ノルマン様式を代表するイングランドの大聖堂の一つです。

身廊には半円アーチや太い円柱など典型的なノルマン様式の特徴が残されており、重厚で力強い空間を形成しています。

一方、13世紀に増築された西正面は、3つの巨大な尖頭アーチを持つ初期ゴシック様式の傑作として知られ、ノルマン様式とゴシック様式が調和した建築となっています。

セント・オールバンズ大聖堂


1077年にノルマン様式で建設が始まった修道院教会です。

長大な身廊や塔などにノルマン様式が残り、その後、内陣や窓などがゴシック様式へ改築されました。ローマ時代のレンガを再利用したことでも知られています。

チチェスター大聖堂


1075年に建設が始まったノルマン様式の大聖堂です。

火災や増改築を経てゴシック様式の要素が加えられましたが、身廊やトランセプトにはノルマン様式の構造が残されています。

グロスター大聖堂


1089年から建設されたノルマン様式の修道院教会です。

14世紀には回廊や内陣が華麗な垂直様式へ改築されましたが、内陣やチャプターハウスなどの壁などにノルマン様式が残っています。

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